幕が上がる - フジロックにいかないつもりじゃなかった

 

フジロックにいかないつもりじゃなかった」は、これまで一度もフジロックに行ったことがなく、2017年のフジロックにも行くことが叶わなかった、小沢健二Cornelius、そしてフリッパーズギターファンの僕が、「フジロックってこんな感じだろう」「『オザケンCorneliusが同じ日に出演するフジロック』は、こうなったらいうことないなあ」という想像をもとに書いた、平行世界のようなフィクションです。

 

 

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イントロのフレンチホルンが流れ始めると、転換のためにステージに降りている白い布をスクリーンとして、水紋のような大小さまざまな波形が映し出された。その紋様は、緩慢だけれども確実に、音と呼応している。映像を映し出す光が小雨に反射し、あたりを明るく霞ませる。規則的に鳴る鈴の音が、意識をひとつ上の階層へと運び、意識と無意識のあいだへと連れていく。この曲は、「Pet Sounds」はもちろん、「ヘッド博士の世界塔」で、デジタル音源が擦り切れるほど聴いてきた。

イントロが終わり、カール・ウィルソンが厳かに歌い出すと、スクリーン上の映像は切り替わり、8mmフィルムで撮られた、どこかの小学校の音楽会の様子が流れだした。ほどなく場面は移り変わり、カラー、モノクロを問わず、政治家が観衆の前で演説する光景、オルガンにあわせて歌う外国の子供、踊りを練習する舞妓、ネオン街、ダイニングバー、洗面台、草原などのシーンが短いスパンで流れていく。それらは一見脈絡がないようだが、しかし、なぜだか遠い昔の記憶として知っている、原風景のような印象を与えるものだった。

映像が流れるさなか、スクリーンの裏がほのかに明るく灯った。ギターやベース、シンセサイザーテルミンなどの、無作為な音が聴こえてくる。Corneliusも、そこにいるのだろう。

彼はいまどんな気持ちでそこにいるのだろうか。フリッパーズギターが解散した26年前は、日本でフェスが行われ、海外から多くの有名なアーティストが集まることなど、想像しなかっただろう。そしてそのフェスに小沢健二と同じ日に出演するのなんてことも。

この曲は、古くからのファンに対する感謝の気持ちなのだろうか。それとも、そんな感傷に浸るようなやつに、心の中で舌をだすために流しているのかもしれない。おそらくは、特別な感情などなく、いままでこなしてきた多くのライヴのうちのひとつにしかすぎないのだろうが。しかし、この特別な状況と幻想的な光景は、ぼくの頭の中にあらゆる想像をかき立てた。

映像とThe Beach Boysの演奏がゆっくりとフェードアウトする。それと入れ替わるように、シンセサイザーのつかみどころのない音像と、通奏低音のようなベース音が流れ出す。

そして、ゆっくりとスクリーンが上がった。